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Kaz3

Author:Kaz3
1955年3月生まれ
(A型/魚座)
自称ロマンチスト

今さらながらの出会い、
発見、気づき、等々
浪漫的あれこれを
楽しんでいる。

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引っ越し……リ・スタート

 一年半ほど前から始めた<浪漫見聞雑記>というタイトルのブログ。
 スタートしたのは、こことは違うサイトだったが、プロバイダーの都合で、ブログサービスが6月で終了するとのこと。しからば、ということで、早めに見切りをつけ、こちらへ引っ越し。
 以前の記事をどうするか……迷ったが、心機一転、一から再スタートすることにした。
 気に入っていた記事は、いずれ少し手を入れて再掲載するつもり。

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 来年私は満60才。「数え61才」となり、いわゆる還暦となる。
 まだ実感は薄いが、あと30年? 20年? それとも10年? てな具合に、残りの時間というものを意識すべき年になった、ということかもしれない。

 思うに、人間長く生きていれば人それぞれに種類や内容に違いはあっても、いろいろな思い出、それにノウハウやスキル的なものを含めた知識等々、頭(脳)の中には相当量相当数の記憶が蓄積されているはずである。
 以前ネットで記憶と脳についてのあれこれを検索してみる機会があった。
 人間の脳が持つ記憶容量をコンピュータなどで使われる容量単位でもって著すと、大脳皮質という部位だけでなんと、140TB(テラ・ビット)という膨大な容量になるそうである。
 見方を変えれば、脳の記憶容量にも限界がある、とも言えるのだけれど、おそらく自分のような凡人は一生かけてもこの数分の一、いや数十分の一程度しか使えないのかもしれない、と思えるとてつもない容量だ。

 記憶というのは、その一つ一つに何がしかの正負があって、良い思い出ばかりあるわけではなく、得てきた知識が全て正しいというわけでも、身に付いたいろいろが必ずしも今に役に立っているわけでもない。それでも、振り返ることのできる(振り返りたくなる)過去の記憶というのはそれぞれの人にとっての大切な“財産”であると思う。また、過去の記憶が起因となって、思いに浸ったり、懐かしんだり、といったある種の楽しさのようなものを感じることができるのは、多くの記憶が蓄積できている者に許された“特権”のようなものだと言える気がする。

 そういう、せっかく蓄積できている記憶というやつを、ただそのまま放っておく、というのは、何やらとてももったいない。だから……自分の記憶というやつを自分のための楽しみ事にしてみる、というのも、あり、と思うのだ。

 世の賢明な方々は若い時からの日記やメモなどの記録を大切に残していて、後年、そういうものを活かし、自分史や回顧録といったものを書いたりする、ということをよく耳にする。別な見方で言えば、(過去の)記憶を楽しむ、ということをわかっている人が、大勢いらっしゃるというということだ。

 自分史や回顧録というのとはちょっと違うが、近年私も、自分の記憶に関する何かを書きたいと、強く思うようになった。
 それで始めてみたのが、この<浪漫見聞雑記>というブログ、というわけである。

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 ブログのタイトルに付けた“浪漫”は私の好きな言葉の一つ。付け加えておくと、好きなのは、カタカナの“ロマン”ではなく、漢字の“浪漫”。これにはちょっとこだわりたい。

 前に“浪漫”の意味をネットや辞書などで調べた際、こんなことが分かった。
 「現代の日本語のロマンは、英語のロマンチック(romantic)とロマンチシズム(romanticism)の意味をあわせ持つ言葉<●ロマンチック=空想的・情緒的または情熱的であるさま ●ロマンチシズム=空想的で情緒・感傷を好む精神的傾向 (岩波国語辞典より)>」
 「漢字で書かれる<浪漫>はフランス語の<roman>を音読漢字で当て字したもの、考案者は明治時代の文豪・夏目漱石」

 元々の“ロマン(roman)”はフランス語。直訳的には、小説一般、を意味するらしいが、今の日本語解釈はもっと広義的な概念を持つ言葉になっているわけで、外来語であることを著すカタカナの“ロマン”とは別物として扱うべきだろう。
 何せ、明治の大文豪である夏目漱石がわざわざ考案した(言葉遊びで語呂合わせしただけとも言われているが)というのだから、なおさらである。

 “浪漫”はある種の感覚的な言葉になっている。具体的な実体を伴うものではないためか、辞書などで調べても、その書かれ方は案外に曖昧で抽象的、解釈や表現のされ方がいろいろあり過ぎて、もう一つピンと来る感じになれない。
 で、私は自分なりに「小説や物語のようなイメージ(ストーリー)を思い立たせること」というように解釈している。

 何かをしようとしたり何かをする、あるいは、何かに惹かれた、というようなことがあると、人はそのことに対してさまざまな思いを持つ。その思いは、同様のことが数多く繰り返されると、都度の重なりによってボリュームを持つようになる。またその思いは、学びや気づきなどによって別の何かに繋がることでボリュームを持つこともある。

 たとえば「花」を基本に置いてみる。最初は「赤い花を見てきれいだと思った」という思いだったとする。次に同じ花でも黄色い花を見て、「赤い花もきれいだが、黄色い花の方がきれいに思う」となるかもしれない。その次には青い花だったとして、「青い花と赤い花も悪くないが、やはり黄色い花が良い」と思ったり……。

 思いは順にボリュームを持っていく。で、より内容の濃いもの、いうなれば、ストーリー(物語的なもの)のあるもの、に変わっていく。
 このストーリー(物語的なもの)こそが、“浪漫”なのだ、と私は思っている。

 「何を浪漫と感じ、何から浪漫を感じ取るかは人それぞれ。あくまでも個々の感性で感じ取るもの」 “浪漫”というのはそういうものであるとも思う。

 ブログのタイトルに“浪漫”を置いたのは、その概念の広義さ。
 根底にある、記憶を楽しむ、というのをやっていくにしても、私の頭の中は非常に雑多。狭いカテゴリーでまとめるのは無理。だから散漫にいろいろと書いていきたい。
 そういう意味で、“浪漫”という言葉の持つ広義さはうってつけで好都合なのだ。

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 肉体は衰える。これはある程度覚悟する。が、人間の脳は基本的に老いない、そうである。高齢になっていくことをネガティブに考えないようにする上で、これは何やらの救いである。

 “記憶”というのにある種のこだわりを持とうとしているのには、実はこれもある。

 好きな言葉である“浪漫”というオブラートに、“記憶”へのこだわりという薬を包む。ブログを綴ることは、それを飲む、ということになるだろうか。
 飲み続ける=綴り続ける限り、少なくとも脳の衰えは回避できる……んなわけもないだろうが、多少の効果はある、と思うことにしよう。

 いろいろな思いを込めて、<浪漫見聞雑記>、リ・スタートである。

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