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Kaz3

Author:Kaz3
1955年3月生まれ
(A型/魚座)
自称ロマンチスト

今さらながらの出会い、
発見、気づき、等々
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立夏の頃限定の “常景” ‥‥ 2015

“情景” ではなく、“常景” という熟語が頭に浮かんだ。
身近な日常的な範囲にある、いつでも行ける場所に見る風景。
ある時季限定だけれど、その時季が来ると (ほぼ)必ず見にいく(見に行きたくなる)風景。
そういった風景(光景・情景含む)のことを称して “常景” という風に著しても‥‥と思えたのだ。

調べてみたが、ネットや辞書には見当たらなかった。“常景”という熟語は使われていないようだ。
まあ、辞書などにはなくても‥‥ではある。


ゴールデンウィーク最終日の5月6日は “立夏” だった。
この時季のキーワードとして思いつくのが “新緑” 。
好きなキーワードではあるが、“桜満開” や “紅葉” といったキーワードに比べ、
景色的印象強さはもう一つに思うところもある。
苦手な暑さの季節がもう目の前‥‥というのもあってのことかもしれない。

それでもこの時季にはこの時季ならでは‥‥の、お気に入りの “常景” がある。





落合川のカルガモ親子 ‥‥

1506_01.jpg


4月24日の朝。電車で隣駅の東久留米駅へ行き、自宅まで歩いて戻る散歩に出た。
途中の落合川。今年もこの時季限定のカルガモの親子を見ることができた。

親カルガモに珍しさはないが、雛の愛らしい姿が見られるのはこの時季限定。
ここ数年は毎年見ることができている。
多い年は一度に3組見ることもあったが、まったく‥‥の年もあった。

雛は8羽。内1羽だけが、頭の一部を除いて全身黄色。
成長が遅いだけ‥‥?

1506_02.jpg


それから5日後の4月29日。カミさんと落合川へ散歩に出た。
カミさんにもカルガモ親子の姿を見せられたらと思ってはいたが、
川沿いを歩き出してすぐ、珍しい感じで見かけることができた。

1506_03.jpg

川の中にできた小さな中洲にカルガモの親子が寄り添っていた。
もう20年近く見ているが、一箇所に寄り添う姿を見たのは初めてかもしれない。
黄色い雛の姿があった。先日見かけた親子に間違いなかった。雛8羽全部いた。
わずか5日過ぎただけだが、雛たちの身体は少し大きくなったように思えた。

この日から2週間行っていないが‥‥。
先日の台風は乗り切っただろうか。全羽無事だろうか。
雛たちはもうだいぶ親ガモに近い姿になっているかもしれない。

ひょっとしたら新しい親子が増えているかもしれない。
6月までの間に行ければ、それが見られる可能性もある。





ひばりケ丘北口商店街横・路地のマーガレット ‥‥

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昨年もこのブログで紹介した、ひばりケ丘北口商店街横の路地の群生マーガレットが、
今年も見事に花開いた。

3月中旬頃にこの路地を通り抜けた時、こんな様子を目にしていた。

1506_08.jpg


まだ少し寒い頃‥‥。マーガレットを守るため? の、カバーが架けられていた。
もちろん分かってはいたことだが、手を入れ、世話をし、大事にしている方がいるわけで、
ただ見るだけのものとしては、心より感謝‥‥。

わずか10メートルほどだが、路地であることも含め、なかなかの風情が感じられる。
右横の花壇の花々も良い。見頃は5月いっぱいかと思う‥‥。





日常的な活動範囲、いわゆる地元の範疇に自分的に発見した “常景” が多くある。
地元に見られる景色・風景などは、案外ないがしろに思われる傾向にあったりするが、
しっかりと見る意識があれば、思いもよらない面白い発見に繋がったりもする。
せっかく縁あって暮らしている地元であるからして、楽しまなければ損(?)。
自分的 “常景” を多く持つことはそのために大事な一つだと思っている。


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記憶の中のフォークソング (1) …… <高田 渡 さん>の歌

数週間前、たまたま点けたテレビの番組で、
10年前に亡くなったフォークシンガーの高田 渡(わたる)さんが取り上げられていた。
番組は終わり近くだったようで、見たのは3〜4分ほど。
ゲスト出演していた息子さんの高田漣氏による、渡さんの曲の演奏で終わった。

それからしばらくして、これもたまたま買った雑誌の裏に「高田渡トリビュート」なる文字を見た。
渡さん没後10年に合わせて発売される、2枚のトリビュートアルバムの広告‥‥。
1枚は渡さん自身が歌っているもののベストアルバム、もう1枚は漣氏のカバー、というようなこと。
先のテレビ番組は、どうやらこのことを話題にしていたらしいことが思えた。

きっかけは些細なことでも、自分的に興味のあることの偶然が重なったりすると、
頭の中の記憶の何やらが刺激され、その関連のことがぞろぞろと思い出されたりする。

渡さんの曲を初めて聞いてから40年以上経つ。それほど熱烈なファンというわけではなかったが、
この人の歌が好きで、今でも何曲かの歌詞とメロディが、何かにつけ頭に浮かぶことがある。

特にこの歌……。

1505_01自転車に乗って


毎週土日の朝。わが家の決まり事は馴染みのベーカリーのパンでの朝食。
で、それを自転車に乗って買いに行くのが私の役回り。
その帰りの道すがら、途中にある原っぱ公園なんていうのも影響してなのだろうと思うが、
なにげにこの曲が思い浮かび、口づさむこともしばしば‥‥。

フォークソングに夢中だった高校生の頃、
この渡さんの代表曲「自転車に乗って」は、私のレパートリーの一つだった。
文化祭や小さなコンサートなどでよく歌った。
高田 渡 の名前を知らない人でも、おそらくこの歌は知っていると思う‥‥?


知る人ぞ知る‥‥のこんな歌にまつわる思い出がある。

1505_02コーヒーブルース
(背景写真=田無にあるフジカフェという私の馴染みの喫茶店)

ややマニアックな感もある歌だが、これも渡さんの代表曲「珈琲不演唱(コーヒーブルース)」。

十数年前、カミさんとカミさんの兄姉家族と一緒に京都に行った時のこと。
錦市場辺りを歩いた後、どこか喫茶店に‥‥ということになった。
すると義姉が、「イノダコーヒー」の本店がこの近くだから行こうと言った。

実はこの日京都に足を踏み入れた時から私の頭の中にはずっと、
この「珈琲不演唱(コーヒーブルース)」出だしの2行が浮かんでいた。
以前京都に来た時、行ってみたいと思いながら行けなかった、というのもあってのことだ。

今回は連れも多いことだし‥‥と、あまり考えないようにしていたのだが、
期せずして「三条堺町のイノダって云うコーヒー屋」に入ることになったのだった。

「イノダコーヒー」が京都では超有名な珈琲チェーン店であることを改めて知った。
近年は東京や札幌にも出店しているようだが、この頃はまだ京都市内に数店あるだけだった。
歌詞にある「三条堺町のイノダって云うコーヒー屋」は、もちろん本店のこと。
かつて谷崎潤一郎や池波正太郎といった文人や芸術家が常連客にいたと聞いている。
ただ、1999年4月に失火で半焼したため、1年ほどかけて改築したというから
渡さんが足しげく行っていた頃と内装などは違っていたのかもしれない。
それでもその日初めて行った「イノダコーヒー」本店は、なかなかの趣がある店に思えたのは確かだ。

考えてみれば、歌の歌詞に誘われるように入った喫茶店、なんていうのはここくらいかもしれない。


渡さんの歌には誰しもに覚えがあるような取るに足らない(失礼かな?)日常を歌っているものが多い。
半面、かなり痛烈な社会風刺のメッセージが入った歌も多くある。

最初に 高田 渡 の名前を知るきっかけになった歌がある。
ある年齢以上の方ならご存じの歌だろうと思う。

1505_03自衛隊に入ろう

この「自衛隊に入ろう」という歌には、自衛隊風刺の皮肉が込められていたにもかかわらず、
防衛庁(現防衛省)から自衛隊のPRソングとしてオファーがあった、という有名な逸話がある。

近年、特に東日本大震災時の自衛隊の活躍などを考えると、この風刺ソングは‥‥と、
思えてしまう感じもあるが、国の政策が一つ間違えば‥‥ということがないわけではなく、
なかなか考えさせられてしまう。要は政治次第ということか‥‥?

「自衛隊に入ろう」の他、「銭がなけりゃ」「鰯に鮪」「値上げ」‥‥といった
ちょっと揶揄した感じにチクリと社会風刺の言葉が入っているような歌もけっこう好きだったが、
どちらかといえばノンポリ系だった私には、この類いの歌に特別な思い出はない。


コンサートなどで渡さんの歌を生で聞いたのは5〜6回ほどだった。そのほとんどは合同ライブ。
一度だけ、他に気を取られることなくじっくり聞いてみたいと思って行った中野公会堂でのものが、
唯一の渡さん単独コンサートだった。

特にこの歌が聞きたくて行った‥‥と記憶している。

1505_04生活の柄

高2の時に初めてこの歌を聞いた。
元々フォークも‥‥で、別に何にこだわるというのはなかったが、
その頃は軽音楽同好会に入っていて、どちらかといえばエレキ片手にロック‥‥だった。
ある日クラスの友人が、聞いてみろと貸してくれた「ごあいさつ」(‘71年)というアルバム(LP)。
先の「自転車に乗って」も「珈琲不演唱(コーヒーブルース)」もこのアルバムで知った。
その中で、気に入った、というよりは、気になった、のがこの「生活の柄」だった。

高3になってロックをやめた。自分で曲を作り、好きなように(?)歌いたい気持ちが強くなった。
前々からあったのだと思うが、この、渡さんのアルバムを聞いたのがきっかけだったように思う。
秋の文化祭。一人(一組)持ち時間30分のコンサート。
6曲ほど選んだ中に「自転車に乗って」と「生活の柄」を入れた。自作も1曲。
「自転車に乗って」はまあまあと思えたが、「生活の柄」は何かうまく歌えなかった。
以降、曲自体は好きなのに、「生活の柄」を歌う気にならなくなってしまった。

そんな気持ちがず〜と残っていたようで、渡さんがどんな風に「生活の柄」を生で歌うのか‥‥、
じっくり聞いてみたかった。
「生活の柄」はかなりスローテンポな歌。誰でもがうまく歌える歌ではないように思える。
渡さん独特の雰囲気と声ならでは‥‥が良い味となって自分に届き、あの歌が好きになったのだ、
ということを、改めて思ったのが、中野公会堂でのコンサートだった。

この歌を語ろうとすれば、この歌の作詞者となる詩人の、山之口 獏 のことも‥‥になるが、
長くなるのでここではやめておくことにする。


さて、今年4月16日で、渡さんが亡くなって10年。
とにかく酒が離せなかったという、どうしようもない飲んべえだったことで有名だった。
大ヒット曲があったわけでも、世の中が騒然とするような話題を提供したわけでもない人だが、
あの独特な歌の世界観は誰にも真似のできない、希有な存在だったことは、
誰もが認めるところだろうと思う。

先にも書いたが、私は渡さんの熱烈なファンではない。もちろん直接お会いしたこともない。
あの人の独特な世界観というか、歌から感じられる感性のようなものが好きなだけだ。
とはいえ、何十年経っても消えない歌の思い出をくれたことには、強く感謝の念を覚える。

そういう意味(?)で敬意を表しこれからも、高田 渡、ではなく、渡さん と呼んでいきたい。
これが一番この人に似合う呼び方のように自分勝手な解釈でそう思えるから‥‥。

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