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Kaz3

Author:Kaz3
1955年3月生まれ
(A型/魚座)
自称ロマンチスト

今さらながらの出会い、
発見、気づき、等々
浪漫的あれこれを
楽しんでいる。

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2014. 師走の紅葉 …… 所沢と秋津の間に見つけた緑地……

 12月初っ端の朝、家から20mほど先、雑木林脇の集積所にゴミ捨てに行った時、雑木林の木々が青空に映え、良い具合に色づいているのが目に映った。
 紅葉の様子というのは、天気の具合、光の方向、観る位置……などによって違って映るものだが、その全部が良かったということなのか、いつになくとても綺麗に見えた。

▼ 12月初っ端の朝……自宅近くの雑木林の様子
0121_01_裏の雑木林

 近場の散歩・散策を週に2回程度してはいるが、今年はまだ、紅葉が見せてくれる諸々風情のウォッチング、というのをしていなかった。
 無理して遠くへ行ってまで……という気持ちは元々ないが、12月に入った……というのがあって、もう遅いだろうと思いつつ、あそこはどんな具合だろう……という場所を思い出した。



 沿線(西武池袋線)の秋津駅と所沢駅の間にある緑地。

 秋津−所沢間はこれまでも何度か歩いてはいるが、10月の半ばに行った時、ちょっと気まぐれにいつもとは違うルートを歩いてみた。

 長く続く斜面地の雑木林、畑地と林の中を縫うように歩ける道……。

 あの風情に紅葉が加わったらどんな感じか……、見てみたくなった。

 12月3日。8時少し前、カミさんの出勤に合わせて家を出た。これはいつものこと。最寄のひばりケ丘駅、カミさんは逆方向、で、私はすぐにやってきた急行で所沢へ ……。
 急行だから次の停車駅が所沢、5分ほど。各駅でも中3駅、10分くらいだ。

 所沢駅の東口から秋津駅へ。歩いて1駅戻る形になる。

 駅前ロータリーから東方向に延びる道路をまっすぐ。突き当たりT字炉交差点を渡り右へ。ほどなくまた交差点。左折してすぐ左手の少し細い住宅地の道に入り、2〜3分ほど道なりに行くと、左手に緑地の端が見えて来る。
 右手にある小学校の少し手前の左、緑地端と住宅の間に坂道があって、そこを上って行く。上ると広い畑地になり、視界が開ける。300メートルほど先はまた住宅地になる。

▼ 坂の上の辺り、視界が開ける
0121_02_坂の上

 畑地に何やら白っぽいもの……、良く見ると霜と霜柱だった。

 霜がしっかり(?)と降りているを見たのは、この日が今年初めて。

▼ 畑に霜柱
0121_03_霜柱

 一本道を道なりに進む。住宅地に入る少し手前に右方向に行ける道がある。そちらへ行く。

 曲り角で何げに後を振り返ると、ナイスビュー、とは言えないが、富士山がしっかり見えていた。

▼ 富士山が見えた
0121_04_富士山

 これから行く方向に目を移す。

▼ これから向かう先
0121_05_林側

 それほど長い距離ではないが、ここから先、ちょっと良い風情を感じさせる一帯がある。

 正面に工務店の資材置場の入口。その前を右折し資材置場の塀に沿って回り込むように左折すると、雑木林の中へと続く道になる。

▼ 資材置場裏の雑木林へと続く道
0121_06_林の道

 道端に目をやる。俗称ネコジャラシ……エノコログサの枯れた様子に気づく。

▼ ネコジャラシ(エノコログサ)の枯れ模様
0121_07_枯れネコジャラシ

 木立の中を歩く。10月に歩いた時は木々の葉はまだ青々と鬱蒼としていたが、今は木によってはほとんどの葉を落とし冬枯れの様相を呈しているのもある。

▼ 雑木林の中の道からの様子
0121_08_林の中の道

 前回は木々の緑に覆われていて気づかなかったが、さほど幅のない雑木林だ。ただ、長手方向に道があるため、木立の中を歩いていると森の奥深くに向かって歩いているような気分になる。

 木立の間から開けた場所……茶畑が覗ける。前も思ったが、光のあたっている茶畑側が眩しく見えて、ちょっと良い感じの光景……。

▼ 木立から覗く茶畑
0121_09_林から茶畑

 これも前は気づかなかったが、茶畑側に抜けられる道があった。

▼ 茶畑に抜けられる道
0121_10_茶畑への脇道

 そうとうな量の枯葉がここ何日かで落ちたらしい。道なのか何なのか分からないくらいに落葉が堆積している。

 前回とは違う道、茶畑側に出てみることにした。

 陽の当る茶畑側に出ると、それまでとは打って変わって、多様な色彩に包まれる感じになった。

▼ 茶畑と雑木林の様子
0121_11_茶畑にて

 モミジの赤こそ見えないが、雑木林の木々の紅葉が何とも良い。茶の木の上に落ちているたくさんの落葉も良い案配の模様になっている感じだ。

 茶畑の向こう側、斜面の手前に生活道らしき道が確認できた。茶畑を横切り、そちらへ向かう。

 緩やかな坂になっている道を下る。道先が木々に囲まれやや薄暗い感じを受けたが、中にいるとそれほどでも……だが、街灯が点いていた。痴漢注意、ゴミ不当投棄厳禁、の看板も所々に……。

▼ 坂道を下る/街灯が点いていた
0121_12_坂道

 確かに女性の一人歩きや夜歩くのには少し……だろうが、日中に散歩や散策を目的に歩く分には……と思えるし、何よりも風情が良い一帯。
 もしもごく少数の不届きな輩のためにこういう場所が、恐い場所、悪環境、というレッテルが貼られるようなことがあるとしたら……とても淋しい気がする。

 坂道を下ると、先ほど小学校(北秋津小学校)前まで歩いた道の先方に出る。もちろん戻るのではなく先に行く……で、左へ。

 坂道の終端からほんの少し先、左面に畑、その向うを眺めるとこんな景色が……。

▼ 多彩な色景色を見せてくれた畑と雑木林の斜面
0121_13_低地から見る雑木林

 10月に見た時の景色が良くなかったわけではないが、同じ場所か?……という感じ。

▼ 10月の時の同じ場所の景色/この日は曇り空だった
0121_14_10月の景色

 季節が変われば……だから、あたり前のことに思えもするが、目の当たりにするとやっぱり感動する。理屈抜き……。

 道は少し交通量のある道とのT字交差点に突き当たる。そこを左折。数百メートル先で西武池袋線の高架と交差する道。
 右手には住宅が連なる。そのすぐ後ろには川面は見えないが、柳瀬川が流れている。

 左手は畑地。所々に道路側から斜面に向かって住宅地があるが、住宅地と住宅地の間が広く取られているおかげで、斜面地の雑木林の紅葉と畑地とが相俟っての良い風情が、住宅に邪魔されることもなく眺められた。
 晴天のおかげもあったろうけれど……。

▼ 畑地と紅葉の雑木林、それに加えての青空が見せてくれた、風情・風景
0121_15_雑木林遠望

▼ 斜面近くをズーム
0121_16_雑木林望遠

 斜面手前の、ススキの群生(おそらく)の枯れた様子も、良い風情の味付けになっている。見ようによっては、住宅地の建物も景色の一部になっているような……。
 ただこれ以上住宅が増えてしまったら、壊し……に思う。

 台地と低地の境、斜面にある雑木林と低地面の畑地の繋がり。武蔵野台地の地形ならでは……というところだろう。
 同じような地形の場所がある私の住むひばりケ丘近辺にも、かなり前にはこういう風景が見られたような記憶があるが、これほどの風景を見せてくれるところは残念ながら(少しはあるか?)……だ。住宅地が増え過ぎた。

 西武池袋線の高架が近づく。斜面地雑木林の景色とはここらでさよなら。

 高架ガードの手前を右に曲り、高架線の土手沿いの道を行く。正面に低いフェンスに囲まれた緑地が見えてくる。左横に高架沿いの狭い道。狭道の先に柳瀬川に架かる橋。その手前の右に緑地の出入口がある。

▼ 緑地と高架沿いの狭い道(写真:左) 狭い道の先にある柳瀬川に架かる橋の階段(写真:右)
0121_17_淵の森手前
※上の写真は10月の時のもの

 橋の手前の緑地口から中へ。

▼ 緑地の出入口(緑地内より)
0121_18_淵の森入口

 先ほどの緑地に比べればさほど広くはない。ここは一時期かなり話題になった「淵の森」と呼ばれる緑地。

 その出入口近くにはこんな石碑……。

▼ 「淵の森」出入口近くにある石碑
0121_19_宮崎駿直筆碑

 この石碑に刻まれている文は、「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」といった名作長編アニメで超有名な、宮崎 駿 監督、の直筆文を刻んだもの。

 「淵の森緑地」は、東村山市(東京都)と所沢市(埼玉県)にまたがる雑木林の緑地。中に市境、もとい、都県境がある。

 1996年に持ち上がったこの地の宅地化計画に、近くに住む宮崎監督をはじめとする所沢市民の保全運動が起こった。募金運動や宮崎監督からの3億円の寄付などを基に、結果、所沢市と東村山市が公有地として買い取り、保全緑地となったと聞く。
 ことの経緯などの諸々はネットで「淵の森」を検索すれば、いろいろ書かれているものを見ることができるので割愛するが、宮崎監督を会長とする「淵の森保全連絡協議会」による保全活動は現在も継続されている。

 ちなみに、宮崎監督はこの「淵の森」を散策しながら「となりのトトロ」の構想を練ったのだとか……。だから思い入れがある、ということらしい。

 以下、「淵の森緑地」の中の様子。

▼ モミジも混ざり、色彩豊かな紅葉の様子が見られた
0121_20_淵の森内01

▼ 木立の間から見る柳瀬川の様子
0121_21_淵の森内02

▼ 葉が落ちた雑木林の中は陽光がよく通り暗さがない/残り葉が良い風情を醸す
0121_22_淵の森03

 3度目の「淵の森緑地」内の散策になるが、この季節は初めて。

 この日の良好な天気具合もあって、心地良い緑地内。ただしベンチなどの設備が多くあるわけではない。ものの10分もかけず一周できてしまう。
 余計なことを欲するよりは、そぞろ歩いて森の中の風情を味わうだけで……とは思う。

 散策できる道をほぼ一周し、外へ。橋の上からもう一度「淵の森」を眺める。

▼ 橋の上から見る「淵の森緑地」と柳瀬川
0121_23_橋上から淵の森

 「淵の森」は、柳瀬川の淵沿いにあることから名付けられたというのを前に聞いたことがある。

 ここからJR武蔵野線の新秋津駅までは5〜6分ほど。私が向かう西武池袋線秋津駅はさらにその先6分ほど。

 橋を渡ったところを右、しばし柳瀬川沿いを行く。フェンス越しに川を覗く。手前にいたカルガモが慌てて対岸の「淵の森」側に移動。驚かせてしまったようだ。

▼ 「淵の森」側に移動したカルガモ4羽
0121_24_カルガモ


 柳瀬川沿いから離れ、駅へ向かう。

 JR秋津駅のそばの秋津神社では、近所の人たちが集まって、太極拳の時間、の真っ最中だった。家の近所の公園でもよく見かける光景……。

 西武池袋線秋津駅前のドトールで一息。所沢駅の東口からここまで休まず歩いて1時間ちょっとは、歩きングの距離・時間としてはたいしたことはないが、目にして面白いものがそれなりにあるこの辺り……。
 気が向いたら、また自然に足が向くのだろう……と思う。


 それにしても、思った以上に斜面の雑木林の紅葉の様子が良かった。畑地と相俟っての景観も……。

0121_25_雑木林+畑地

 保全活動で話題になった「淵の森」のほんの近くに見られる、雑木林と畑地が醸すこの景観。ここはどうなのだろう……と、思わずにはいられなかった。

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ジャズといえば、中央線……

 ジャンルを問わず何でも……というのが私の音楽に対する基本的志向ではあるが、フォークソングとジャズに関しては、ちょっと特別……な思いがある。



 もう1ヶ月以上前のことになってしまったが、久々にジャズに触れる機会があった。まずはその話から入ることにしよう。

 10月25日、昨年行くことが出来なかった“阿佐谷ジャズストリート”に行ってみた。とはいっても、4時30分から新宿で打合せの予定があったため、それに出かけるついで(?)に、1時間ばかり時間を取って寄り道……という程度だったが、それでも、いやいやなかなか……けっこう楽しめてしまったのだった。

 2時少し前、2年ぶりの阿佐谷駅に降りた。南北どちら側でもよかったのだが、とりあえず南口側に出てみることにした。

 駅口近くの案内所でパンフレットをもらい、道路を挟んだ向側、噴水前特設ステージに目をやると、アメリカ人、それも米軍の所属らしき制服の人たちが何やら慌ただしくしていた。
 パンフレットを見ると「米国空軍太平洋音楽隊<Pacific Showcase> 12:30〜」というのがあって、どうやらその演奏が終わったばかりのようだった。

▼ 米国空軍太平洋音楽隊、後片付け中……
011_ph01.jpg

 一足違い……、米軍ビッグバンドの演奏、ぜひ聴いてみたかった。非常に残念。

 しばし後片付けの様子を眺めながら次のステージ予定を見る。まだだいぶ時間がある。北口側へ行ってみることにした。

 駅北口ロータリー中杉通り沿いの一画に人だかりが確認できた。ステージ代わり(?)の仮設テントの中では演奏予定者達が演奏準備の真っ最中。もうすぐ始まるようだ。

▼ 阿佐谷駅北口側のアーケードパサージュ前ストリートライブ会場の様子
011_ph02.jpg

 立て看板に貼られた予定では、演奏開始2:00PMとなっていたが、少し遅れている様子。時間が気になったが、せっかくだし一曲くらい……ということで、しばし待ってみることにした。

 10分ほどで演奏が始まった。「竹内郁人クインテット」というグループ。

▼ 演奏中の様子/みんなしっかり聴いている
011_ph03.jpg

 ダブルサックスにキーボード、ベース、ドラムスの編成。ダブルサックス(2本ともアルト)というのは案外珍しいように思う。
 曲名は分らなかったが、ビバップ系の正統派モダンジャズ……、という感じの演奏曲。生でジャズバンドの演奏を聴くのはかなり久しぶりになるが、けっこうノれた。足が自然に動いた。

 十数分ほどの演奏で1曲目が終了。もっと聴いていたい気持ちにはなったが、南口側が気になるのと、少し空腹感を覚えたことがあって移動。
 北口の立食いそば屋に寄り、再び南口の噴水前特設ステージへ……。先ほど大勢いた米軍の人たちの姿はすでになく、次の演奏予定者たちが準備を始めていた。演奏開始には今少し時間がかかりそうな雰囲気。

 阿佐ヶ谷駅周辺、1〜2km範囲のあちらこちらでストリートライブが行なわれているはずであることは知っていたが、あと30分くらいで新宿に……というのがあって、駅近くから離れるのはちょっと躊躇。で、先ほど演奏を聴いた北口側に戻ってみたが、1回目のライブは終わってしまっていた。
 しかたなくまたまた南口側へと向かう……。

 噴水前特設ステージのセッションライブが始まっていた。

▼ 噴水前特設会場ライブの様子(右下/ノリノリで踊っている女の子)
011_ph04.jpg


 ジャズというよりはR&Bという感じの、けっこうビートの効いたサウンド。道路を挟んだ駅口前の歩道ではノリノリに踊っている女の子の姿。

 このライブを時間まで……と、ステージの近くへ向かおうとしたら突然、広場の東側方向から耳に覚えのあるディキシーランドジャズの曲が聴こえて来た。
 振り向いてみると、パールセンター商店街口の辺りがいつの間にやらすごい人だかり……。

▼ パールセンター商店街口の人だかり
011_ph05.jpg

 ちょっと迷ったが、R&Bも嫌いではないが、ここはやはり、耳に覚えのあるディキシーランドジャズ……と、自然に足が向いてしまった。

 歩いて移動しながら演奏する……ジャズウォーク。パンフレットには「ニューディキシーモダンボーイズ」と「早稲田ニューオルリンズジャズクラブ」の2つのバンド名。最終日の午後ということで、2つのバンド合同……ということらしかった。
 演奏曲はディキシーではスタンダード中のスタンダード“聖者の行進”。

▼ 2つのバンドが揃って“聖者の行進”演奏中/聴いてるみんなが楽しそうで良い雰囲気
011_ph06.jpg

 あまりにも楽しい演奏光景だった。もうそろそろ、の時間だったけれどついつい聴き入ってしまった。それにしても、青服の道化師姿の御仁が演奏していた、打楽器をいくつも組み合わせたような楽器、ありゃ何だろう?

 各楽器のアドリブソロも入っての20と数分。ほんとに、久々に、音楽のある面白い風景に出会えた、という感じだった。
 3時15分には出るつもりが、10分以上オーバー。まあ遅れはしなかったけれど。


 私がこの“阿佐谷ジャズストリート”というものに出会ったのは3年前、ほんとに偶然のことだった。
 仕事中の骨折で職場近くの秋葉原の病院に入院していたカミさんを見舞った帰り、気まぐれに、帰宅最短ルートではない中央線を利用して家へ戻る、というのを何度かした。その何度目かのことである。
 今日は西荻窪辺りに降りて自宅に近い大泉学園まで歩いてみようか……などと考えながら中央線に乗っていた。電車が阿佐谷に着き、ドアが開くと同時に、ジャズの生演奏であることが分る音が聴こえて来た。思わず立ち上がり、電車から飛び降りた。その動作は自分でも不思議なくらい早かった。
 改札を出て音の聴こえる北口側へ出てみると、ロータリーの右向こうの一画に人だかりが見えた。ジャズの生演奏はそこからだった。

 前述の、阿佐谷駅北口アーケードパサージュ前のストリートライブ。それとまったく同じような光景を目にしたのが、“阿佐谷ジャズストリート”なるものとの最初の遭遇だった。

▼ 3年前の“阿佐谷ジャズストリート” 北口アーケードパサージュ前ストリートライブの様子
011_ph07_3年前北口ライブ


 この日、南口側へは行かなかったが、北口の商店街の通りで2組ほどの路上ライブなどにも足を止めた。通り沿いの居酒屋などの何軒かでは、夜にイベント共催のライブをやるらしいことも知った。
 もっと早く知っていれば……などと思いつつも、ちょっとした気まぐれが面白いものに出会わせてくれたことが嬉しかった。

 その後、一昨年は阿佐谷には行ったものの、午前中しか時間がなくライブそのものは見れず聴けずだった。去年はまったく都合が合わず、行くことすらできなかった。
 そんな前提があっての無理矢理に作った今年の1時間ちょっと……。来年こそは、事前に調べて、時間を取って、チケットを買って、と思うが……はたして?




 東京周辺のジャズのメッカといえば、一番が横浜、いやいや六本木だとか、歴史的に見れば銀座、あるいは浅草だろうとか、まあいろいろあるようだが、私にとって、ジャズ、といえば、中央線沿線……である。

 ジャズを好んで聴くようになったのは20才になる少し前、新宿にあったジャズ喫茶「DIG(ディグ)」にたまたま一人で入ったことがきっかけだった。
 当時のジャズ喫茶を知っている人なら頷いていただけることと思うが、おしゃべりは厳禁、名機と言われる高級オーディオ装置でもって大音量で否応なしにジャズを聴かせる……。ふつうの喫茶店の雰囲気をあたり前と思っている人にはとんでもないことかもしれないが、その頃の私にはそれが痛くフィットしたようだった。以来、新宿に出るとその独特の雰囲気を求めてジャズ喫茶を探し歩くようになったのだから……。

 これ以前、私にとってジャズは未知の音楽ジャンルだった。ただ高卒後、某有名音響機器メーカーの関連会社に就職した関係で、オーディオファン、特にマニアといわれるような領域でオーディオを楽しんでいる人たちの多くがジャズを好んで聴いている、ということをよく耳にしていた。だから心の内には多少の興味が生じていたようにも思うが、ジャズから連想される何やらこむずかしいようなイメージと、手持ちの安物のオーディオ装置で聴いても……という、わけのわからない理屈でもって少し敬遠していた感じだった。
 そんな私の手前勝手な概念をみごとに壊してくれたのが、ジャズ喫茶だったように思う。

 あたり前のことながら、ジャズ喫茶通いして何度も耳にするうち、それほど好きというわけでもなかったジャズという音楽に対しての興味が、どんどん強くなっていった。名盤、名曲といわれるようなレコードを買っては聴き、ジャズの雑誌や評論誌などを読みあさり、コンサートにも行くようになった。
 新宿厚生年金会館で「マイルス・デイビス」「MJQ(モダンジャズクァルテット)」といった外国のミュージシャンの演奏スタイルに驚き、新宿歌舞伎町の映画館で毎年大晦日に行われていた「オールナイト・ジャズ・フェスティバル」で 山下洋輔さん の強烈な肘打ち奏法を見てぶっ飛んだ気持ちになったこと、等々……、今でもはっきり覚えている。
 とまあそんな具合、私のジャズとの出会いは、新宿から……だった。

 「DIG」でジャズ喫茶の面白さを覚えた翌年、会社の寮を出て、東中野で一人暮らしを始めた。職場が近く、姉の家が近い、というのが大きな理由だったが、新宿に歩いても行ける距離、というのもあったように思う。けれどもそれからしばらくして、新宿が嫌いになったというのではないが、歌舞伎町辺りの独特の喧噪、いつ行ってもどこへ行ってもものすごい人ゴミ、そんなことに対して少しばかり煩わしさみたいなものを感じるようになっていた。
 雑誌で吉祥寺のジャズ喫茶が紹介されているのを見たのはそんな時だった。

 秋田の高校生だった頃、フォークソングが全国的に流行っていて、ご多分にもれず私もフォークソングに夢中となり、ギターを覚え、拙い詞と曲をつくり、高校の文化祭や小さなライブ会場などで歌ったりしていたが、そんな地方のフォーク好きの共通のあこがれの地があった。それが吉祥寺……。
 ところが、上京して2年以上過ぎていたにもかかわらず、なぜかきっかけがなく、なかなか行けないでいたが、ようやく、ジャズ喫茶目当て、というきっかけができた……。

 初めて行った吉祥寺。高校生時分に思い描いていたような「フォークソングの聖地」という感じではなかった。それでも新宿や渋谷といった都心の街とは朗かに違う雰囲気や、井の頭公園に代表されるような周辺の環境……、それらはなぜか自分にしっくりする感じがし、街そのものを気に入ってしまった。

 この日、吉祥寺北口サンロード商店街脇の路地に「アウトバック」というジャズ喫茶を見つけて入った。化粧を施したむき出しのダクト、そのところどころに置かれているカラスの剥製が印象的な店だった。

▼ 写真で残してあった「アウトバック」の紙マッチ/裏面には音響設備……
011_ph08_outback.jpg

 「アウトバック」の隣には「赤毛とソバカス」というロック喫茶があり、これもまた嬉しい発見だった。

 この日を境に、吉祥寺方面に多く足が向くようになった。

 上京3年が過ぎた頃、会社を辞めデザイン学校の2部(夜間)に通うようになった。昼はアルバイトで夜は学校……の生活。会社勤めの時とは違い、懐には余裕など無いわけで、コンサートにはそうそう行けない。で、ジャズはもっぱらジャズ喫茶で……ということになった。

 改めて思い出してみると、あの時期、今なら驚くくらいジャズ喫茶によく行っていた。さすがに沿線にあった全部の店に行けたわけではないが、中央線沿線、新宿〜吉祥寺間の街々(大久保、東中野は除く)にはそれぞれお気に入りのジャズ喫茶があった。

 新宿では先にも書いた「DIG」、それに「木馬」「ビレッジヴァンガード」。がんがん聴かされるのがちょっといやな気分の時は「DIG」の姉妹店「DUG(ダグ)」。
 吉祥寺は「アウトバック」を目的に行くことが多かったが、「ファンキー」「メグ」「A&F」「しもん」「サムタイム」……と、数多くの店に行った。
 その他、中野=「ビアズレー」、高円寺=「洋灯舎」、阿佐谷=「吐夢」、荻窪=「グッドマン」、西荻窪=「ダンテ」といった店の名前が思い出される。

 中でも、隣駅の中野にあった「ビアズレー」は、東中野で暮らした8年間、一番多く行った店だった。

 「ビアズレー」の店名は、19世紀後半にイギリスで活躍したイラストレーター「オーブリー・ビアズリー」の名前から付けたものだろうが、正しくは「ビアズリー」が、なぜか「ビアズレー」だった。
 ともあれ、店内には大きなビアズリーのイラストポスターが数枚貼られ、壁面は鏡、全体はビアズリー代表作のイラストイメージからの黒基調……、シンプルでありながら要所要所に凝ったインテリアをしていた、という記憶がある。

▼ ビアズリーの代表作「サロメ」のイラストとジャズ喫茶「ビアズレー」のマッチ
011_ph09_ビアズリー

 ビアズリーのイラストが元々好きだったこともあるし、この店では私の好きな、ジョン・コルトレーンの曲がよくかかっていたこともある。それに加えてもう一つ……。

 ジャズ喫茶の魅力は、もちろん誰にも邪魔されずジャズに浸れる、というのにあったのだろうが、それは一般の人間にはなかなか手に入れ難い、高級オーディオで聴ける……というのがあって、なおさら……、だったように思う。

 「ビアズレー」には、当時マニア垂涎の名機といわれていたスピーカーシステム、「JBLパラゴン」が設置されていた。

▼ 名器「JBLパラゴン」
011_ph10_JBLパラゴン

 都内のジャズ喫茶でも「JBLパラゴン」が置かれていたのは数店ほどだったと聞く。私が行ったことあるジャズ喫茶では、「ビアズレー」の他は、吉祥寺の「ファンキー」くらいだった。

 当時のジャズ喫茶はとにかくオーディオへの力の入れ方が半端では無かった。家の広さや近所への迷惑を考えれば、たとえ名機と言われるようなオーディオ装置を手に入れられたとしても、大きな音で思う存分好きな音楽を楽しめる人などそうそういなかっただろう。
 そういう意味では、ジャズファンのみならず、オーディオマニアにとっても、ジャズ喫茶はありがたい場所だった(?)のではないか……と思う。

 こんな記憶がある。朝、寝床から出て、コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」を近所に響かない程度の音でかけ、また寝床に戻った。朝の爽やかさの中、というのもあって、聴き慣れたはずの曲がいつもより妙に気持ち良く聴こえた。
 その日の午後、買物があって中野に出かけた。帰りがけに「ビアズレー」に寄った。入った時に流れていた曲が終わり、次にかかったのは、朝聴いたコルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」。大音量というのもあったろうが、音の隅々まで聴こえる感じに圧倒された。コルトレーンの吹くソプラニーノ(ソプラノサックス)の音が違って聴こえた。「マイ・フェイバリット・シングス」という曲がますます好きになった。

▼ ジョン・コルトレーン「マイ・フェイバリット・シングス」アルバムジャケット
011_ph11_MFTjacket.jpg

 どうでもいい些細な記憶……だが、ジャズ喫茶に関わる記憶を辿ると、こんなことがなぜか思い出される。


 30代になって、ジャズ喫茶への足は遠のいた。ジャズに限ったことではないが、ステレオで音楽を聴く、というのもあまりしなくなった。

 いつ頃だったか……。確か40才前後……、久しぶりに中野に行き、「ビアズレー」があった場所に行ってみたことがあった。建物はあった。が、そこに「ビアズレー」の看板を見ることはなかった。

▼ かつて「ビアズレー」があった中野サンモール横の路地/右奥に見えるビルの2階だった (写真は2011.Sep. )
011_ph12_B跡地

 「DIG」しかり、「アウトバック」しかり、多くのジャズ喫茶が1990年代に閉店、あるいは商売替えしてしまったと聞く。


 かつて荻窪に本社のある新星堂のプロデューサーが、“中央線ジャズ”なる言葉を提唱したことがあったと聞くが、その根本にあったのは、ジャズ喫茶の存在ではなかったか……。
 あの頃、1970〜1980年代、新宿から先、中央沿線の街々には多くのジャズ喫茶が存在し、“ジャズ喫茶文化”といえるものが確かにあった。

 馴染みにしていた多くの店が無くなっている現実を見て、中央線の“ジャズ喫茶文化”は消え、“中央線ジャズ”も消滅……?、と、残念に思った一時期……がある。
 そんな、早とちり、とでもいうべき私の勝手な思いを振払ってくれたのが、3年前の“阿佐谷ジャズストリート”との出会いだった。

 “阿佐谷ジャズストリート”は今年がちょうど20周年だったそうである。20年前といえば1990年代半ば、多くのジャズ喫茶が閉店した頃……。バブル崩壊後の不景気感が蔓延していた頃でもあって、世の中、ジャズどころではない、という感じでもあったように思う。
 そんな中で立ち上げ、今日では全国的にそれなりに知られるイベントに成長させたのだから、これには心から拍手……だ。

 ただ、“阿佐谷ジャズストリート”は、阿佐谷という地域の活性、というのがベースにあって、“中央線ジャズ”が持つ概念とはちょっと違う……。
 私のように、中央線の“ジャズ喫茶文化”に育てられた(?)他の人が、これをどう見るか、これをどう思うか……、一度聞いてみたいような気もする。

 “ジャズ喫茶文化”がもう一度花開くことなど、別に期待してはいない。ちょっと違和感があっても“阿佐谷ジャズストリート”のようなイベントを否定はしない。気兼ねなくジャズが楽しめればそれで……。

 中央線沿線の街々でジャズを教えられた身としては、いつまでも “中央線ジャズ”健在、であってほしいと願うばかり……である。

▼ 今も変わらず営業中の、吉祥寺「サムタイム」(写真は2012.Oct. )
011_ph13_サムタイム


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