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Kaz3

Author:Kaz3
1955年3月生まれ
(A型/魚座)
自称ロマンチスト

今さらながらの出会い、
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写真集「福島のすがた 〜3.11で止まった町〜 」

 8月以来ばたばたやっていた仕事がちょっと一区切り。忙しい間は、他のことができないことに、ブツブツ……。けれど終わりが見えて来ると、それが案外淋しく思えたり……。
 まったく人間(自分)の気持ちというやつは勝手なものである。

 さて、今回は仕事に関連した話に少し触れてみたい。これも前のサイトのブログで一度書かせてもらった内容のものだが、そのままお蔵入りさせるのもちょっと……という思いがあって、再登場させることにした。



 昨年の12月3日。「福島のすがた 〜3.11で時間の止まった町〜」というタイトルの写真集の初版が刷り上がった。

▼ 写真集・福島のすがた 〜3.11で時間の止まった町〜 初版
009_01.jpg


 消し去ることのできない記憶となった’11.3.11東日本大震災から3年と7ヶ月。岩手や宮城などからは復興が進行している話題が届くようにはなった。
 しかし反面、あの日、震災によって発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故。その放射能漏れの影響で強制的な避難を余儀無くされてしまった福島県浜通り地域の町々は、今なお、復興の「ふ」の字も感じられない状態にされている、という現実がある。

 この写真集は、飛田 晋秀 (ひだ しんしゅう) さん、という、福島県三春町生まれ・在住のプロカメラマンが撮影した、原発事故により全町避難区域となった、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、の3.11後のありのままの姿を撮影した写真を集めたもの。

 飛田さんの本来の専門は、日本の職人さんなどの撮影。1996年頃から地元である福島県三春町を題材とする写真展・個展などの活動を展開し、1999年に出版された写真集「三春の職人」は民俗学資料として国立国会図書館に永久保存されている……というような経歴を持つ方だ。
 3.11後、幾度となく原発避難区域を訪れその現況を撮影。3.11同年の11月、写真展「福島のすがた」を地元三春町で開催。以降多くの支援者の助力を得、「事故を風化させない」「福島県民の思いを知ってほしい」「事故後の状況をありのままに知ってほしい」という思いの下に、日本各地で「福島のすがた」をテーマとする写真展並びに講演会を行なっている……とのことである。

 縁あって私はこの写真集の制作を担当することになった。

 出来としては正直物足りない。ぎりぎりの予算で、無理して何とか作り上げた、というのが実のところだから、まあ仕方がないか……というのが正直なところ。
 とはいえ、何はともあれ完成させることができ、依頼してくれた方々に喜んでいただけたこと、それにこうした歴史的な事態を記録するものの制作に携れたことには、ちょっとした満足感を感じているのも確かだ。

 出来上がった以上、できるだけ多くの人の目に触れてもらいたい、と思うのは制作に関連した人間として当たり前な気持ちである。
 ブログへの写真使用のお許しをいただいた。もちろん全部というわけにはいかないが、私なりの視点・観点を前提にした感想を入れながら、この写真集の紹介をさせていただく。

 この写真集には、被災地の写真132点が掲載されている。それらにざーと目を通して最初に目が行ってしまったのは、やはり地震や津波の破壊力の凄さを物語る写真だった。

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 忘れてならないのは、これらが事故直後ではなく、1年2年後に撮られたものだということ。あたり前であれば、とうに更地になっていてもおかしくないのだ。

 それらとは正反対に、見た目には特に被害を感じない、こんな写真がある。

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 ここに住民の姿があれば、ごくあたり前の町の風景……。分かってはいても、微妙な気分にさせられる。

 同様にこんな写真。

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 どんな思いで新築したのか、新築しようとしていたのか……、持ち(建て)主の無念さが否が応でも伝わってくる。

 放置された家畜たちの姿も哀れを誘う。

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 この行く末は……と、誰もが想像してしまうことだろう。

 テレビなどではあまり伝えられていないが、問題提起……要、を感じるこんな光景。

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 鳥たちにも、先の家畜たちにも、何の罪もないのだけれど……。

 これもまた、考えさせられる写真だ。

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 原発事故はどうしようもない状況を作り出した。だが過去の一時期、原発が町の活性化を促す存在の一つとしてもてはやされたこともあったのは事実なのである。

 私はかつて、村おこしなどの地域活性に関連する仕事をしていた時期がある。現在のような、ゆるキャラやB1グルメといった、地方を盛り上げるブーム的なものなどまだなかった時代。
 もちろん全部が全部ではないが、多くの人たちの関心は、国や行政が何をしてくれるのかを期待し待っている、という感じで、原発は国や行政が何かをしてくれた、そんな時代の象徴の一つ、と言えなくもないように思う。
 実際この地域では雇用も促進されただろうし、誘致に伴って支給された補償金や補助金が少しは地域を潤したのだろうと思う。
 だから原発の存在も仕方がなかった……などとは思わないが、これもまたこの地域にあった事実だったということを上の写真は語りかけているように思える。


 この写真集冒頭の挨拶文で飛田さんは、「全ての原発は廃炉にしなければなりません。」と結んでいる。もちろん私もその言葉に対しての異論はない。
 だが、私の根っこに工業系技術屋としての素地があるせいか、原子力発電所や原子爆弾の存在は否定するものの、原子力に関する技術そのものを頭から否定する気にはなれない。
 特別な根拠はないが、人のためになる可能性がまったく失われたとは思えないから……がその理由だ。

 あの事故が起きるまで、いやそれ以前にも茨城の東海村の関連施設の放射能漏れ事故があった記憶などもあるが、正直、原子力あるいは原発の是非など、これまであまり深く考えたことはなかった。
 他愛もない考えではあるが、こんな風に考えを述べてみる気になったのは、この写真集に掲載されている写真を何度となく見ているせいなのだろう。

 この写真集は市販されているものではない。
 飛田さんは写真展と講演会の開催を主とする活動をしている。その中で、写真の資料的価値を認める多く方から写真集を望む声を聞き、それに応えて自費で写真集を作る決心をしたと聞いている。
 飛田さんの活動は、知る人ぞ知る、の話題にもなっているし出版社に企画を持ち込めば……とも思うが、それをあえてしなかったところに、飛田さんという人の人柄が感じられる。

 だから私も……、まあその部分では、私、の存在はどうでもいいか……。

 初版1,000部。第二版500部。そして現在、第三版1,000部が印刷中である。
 正直初版の1,000部が半年で無くなるとは思わなかった。第二版の印刷上がりが今年5月で、9月頭に1,000部増刷決定である。これだけを聞けば……だが、損はしていないが、誰も儲かっているわけではない。

 さて10月4日に印刷が上がる第三版。初版と第二版にはなかったが、第三版では飛田さんの名前を表紙に入れることになり、どう入れるか相談され、大した提案でもないが、私の意見を通してもらった。

▼ 福島のすがた 〜3.11で止まった町〜 第三版表紙
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 この写真集の価値を一言で言うとすれば、資料的価値、ということになるのだろうと思う。
 資料的価値のものというのは、その対象に強い関心や興味、あるいはその使途に対する意識などがない人には、特別に価値を持たない。
 原発事故と福島の町々のことへは、多くの人が大かれ少なかれの関心を持っていることと思うが、その人たち全てがこの写真集の価値を認めてくれるものではないだろう。

 それでもあえて書いておきたい。

 この写真集は、福島の原発事故問題に関心のある方には、ぜひ一度ご覧いただきたい一冊である……と。

 同写真集のお求め並びに飛田さんの活動をお知りになりたい方は、下記にアクセスしてみてください。

 < http://www.hida-fukushima.com/ サイト名 = 飛田晋秀「福島のすがた」>


 私のブログのテーマから言えば、ちょっとどうなのかな? と迷ったが、何年か先に、この写真集に取り上げられている地域の町々が復興を遂げ、素晴らしい形で復活できたとすれば、それはまさしく、浪漫溢れる出来事、という風になるのだろうと思う。

 そんな日が一日も早く訪れることを、心から願う。

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送電鉄塔に見た浪漫……(再)

 例年7〜8月、年1回発行の刊行物の制作依頼がこの辺りに集中し、忙しくなる。仕事自体はちっとも嫌ではないが、家にいての仕事漬けの状態が2週間3週間と続いて来ると、さすがに……である。
 だが不思議なもので、忙しく仕事をしていても合間には必ずといっていいほど、何やらの中途半端に閑な時間(?)が出来る。「忙中閑あり」とはよくいったものだ。
 そういう時間にブログの原稿を、と思わないわけではないが、無理に書こうとしても、どうも仕事の延長的な気分に襲われ、書くことを楽しめない。結局は閑な時間ができると、朝の二時間、あるいは午前中だけ、などと限定しつつ散歩・散策へと外出。するとそこで、ブログにアップしたくなるような種がまた見つかる。だけれど、帰ってからは仕事を優先させなければ、依頼してくれている人に申し訳ないわけで……という具合。アップできない中途半端な原稿と写真が溜まってしまっている。

 と、まあ、そんな具合でそうこうしている内に、7月8月の夏の盛りが過ぎ、9月も半ばになってしまった。このままブログの更新をずるずると先延ばし……というのもちょっと癪である。
 というわけで、前回に続き、閉鎖になった前のサイトに掲載していた中からちょっと気に入っていた内容のものを、リメイクして、アップすることした。



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 いきなり送電鉄塔の写真……。

 一昨年、私の出身校である秋田工業高校の先輩に仕事を頼みたい旨の話しをされた。先輩が社長をする会社の、業務案内の制作、というのがその仕事のテーマ。
 これまでさまざまな業種の販促媒体を手掛けてきている私である。業務案内を制作すること自体には何の心配もないが、ポイントはその対象。それは初めて手掛ける分野のものだった。
 まあ、手掛けたことのない業種や分野が対象であっても、客先から提供される資料を読み込んで大まかに理解し、担当者と調整しまとめ、あとはデザイン的配慮で質を高める、という流れで、さらーと終わらせる(実際はそれほど簡単でもないが……)ことはできる。それで仕事としては何とかなる。しかしながら今回の対象に対しては仕事だけではない興味が、少しばかり湧いてしまったようだ。

 回りくどい前置きをしてしまったが、その対象というのが、送電鉄塔、なのである。

 仕事のGOはまだ先、のようだったが、デザイン屋の性(さが)とでも言ったらいいか、今までまったく関与したことのない対象を提示されたことに、少し余計かとも思える興味の虫が、俄然あちらこちらから湧いて来て、意識の中に、送電鉄塔、というキーワードが強く放り込まれた。

 送電鉄塔はずっと昔から見慣れたはずのものであった。だが意識していろいろと見ていくうちに、何も知らない、何も見ていなかったも同然の存在だったということに、改めて気づかされた。

 例えば単純な話としては、送電鉄塔の形。

▼ 送電鉄塔の形のいろいろ
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 業務案内に使えればと、後に先輩から渡された送電鉄塔の写真データの中から特徴的なものを抜粋したもの。もちろん、この他にもいろいろな形のものが写真の中にあった。
 これまでもおそらくは目にしていたのかもしれないが、こんなにいろいろあることに改めて気づかされた、というのが正直なところだ。
 昨年、所用で武蔵境から中野へ向かうために久々に乗ったJR中央線。その途中の阿佐ヶ谷−高円寺間で、左下写真のものと同じタイプの白に塗られた送電鉄塔が、中央線にクロスして連なっているのを見かけ、思わず目を凝らしたが、多少なりとも送電鉄塔への興味を持ち合わせていなければ、おそらく見過ごしていたのだろうと思う。
 ちなみにこのタイプは、環境調和型鉄塔(美化鉄柱)というもので、周囲の景観に配慮して建設されるものだそうだ。写真は、浦和レッズの本拠地、埼玉スタジアムの脇にあるもの。

 以前からその必要性や機能性などは認識しているつもりではあったが、どちらかといえば、送電鉄塔や送電線は良い景色を邪魔する野暮の骨頂、と思う方が少し勝っていた。もちろん、今でも、場合によってちょっと邪魔、と思うこともないではないが、現金なもので、興味の鉾先が向けば、嫌いに近かったものも好ましく思えるようになるようだ。
 きっかけは、先輩からの仕事の話、なのではあるが、送電鉄塔をサイトでいろいろ調べていく中で偶然見つけた送電鉄塔に関する面白い話、それが仕事とは別な興味を強くさせる要因になった。

 世の中多かれ少なかれ、どんなものにもマニアあるいはフリークと言われるような人たちがいる。鉄塔にも「鉄塔マニア」なる方々がいて、サイトではそうした方々の鉄塔見聞記録などをたくさん見ることができる。
 その「鉄塔マニア」の方々にとって、ある種バイブル的な本があるという。
 銀林みのる という作家さんの書いた小説「鉄塔 武蔵野線」という題名の本で、第6回日本ファンタジーノベル賞(1994年)を受賞、1997年には映画として公開されたそうである。
 「鉄塔 武蔵野線」の武蔵野線は、送電線の経路線名であり、その重要な舞台の一つとして、武蔵野変電所、が登場する。

 武蔵野変電所は西東京市北町四丁目に実在する変電所である。敷地にある桜が見事で、地元の人にとっての桜の名所ともなっている。自宅から徒歩15分程度の場所ということもあって、私も毎年満開の時期には必ず足を向ける。またこの近辺はいつ行っても何やらの良い風情を見せてくれることから、私の好きな散歩コースの一つにもなっている。

▼ 武蔵野変電所ゲート
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▼ 敷地内の桜
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 自分の生活圏である身近にこういう場所などがあることを知ったりすると、益々興味は強くなるものである。(周辺景色は4/20アップの「春・第一幕……に、見たくなる景色」で紹介)

 「鉄塔 武蔵野線」は、送電鉄塔に魅せられた少年が、夏休みにその送電鉄塔の経路(路線?)を鉄塔に付けられた番号順に辿り、大本の発電所(原子力発電所らしい……)を目指して冒険に出、その途中でさまざまな出来事に遭遇……というのが話しの大筋。
 「鉄塔マニア」を自称している人たちのサイトを拝見すると、主人公の少年と同じように、送電鉄塔○○線(武蔵野線とは限らない)を番号順に辿り、ここはマニアの面目躍如、途中の変電所の特徴や分岐点における様子などをこと細やかに紹介したりしている。何件か拝見したがこれには感心……だった。

 私はさすがに「鉄塔マニア」の仲間入りはできないが、身近にありながらこれまで意識することのなかった送電鉄塔に様々なストーリーが存在し、そこにある種の浪漫を感じられたことには、何やらの面白さや嬉しさを感じている。


 昨年の夏前、仕事がGOになった。具体的な打合せの前に、改めて送電鉄塔をじっくり見ておきたくなった私が向かったのは武蔵野変電所。できる範囲で見て回った中、他にすごいなと思うものもあったけれど、私が一番気になった送電鉄塔は、武蔵野変電所のすぐ近くにあるものだった。

 距離を取り、安デジカメで全体像をパチリ。その時撮ったのが冒頭にも入れたこの送電鉄塔の写真。

▼ スリムな体躯で力強く送電線を支える送電鉄塔の姿
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 何と言うべきか……、うまく言葉にできないが、改めて見て、送電鉄塔はすごい、と単純に思った。

▼ 送電線の向かう先/左下の鉄塔群の辺りが武蔵野変電所
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 この鉄塔、左右に走る送電線と向う側への送電線を支えている。何万ボルトの電気を送電するためのものかは分らないが、そこらで見かける電線とは桁違いの何トンもの重量があるであろう送電線を支えているはずである。しろうとである私でも、その立ち姿に見る構造が、なぜこういう形なのか、いかに強固に設計されているか、一目で理解できる気がする。
 詳しくはわからないが、高さにしても電気が通電すると起きる電磁波などの影響を周辺に及ばさせないための高さ、というものが計算されているのだろうということは想像できる。

▼ アップで見る送電鉄塔の複雑な配線はある意味きれいだ
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 高く、そしてスマートに見えながら実に強固そうな構造。こうした立ち姿を改めてじっくり見ただけでも、「鉄塔マニア」なる方々が鉄塔に魅せられる理由が理解できる気がする。


 8月(昨年)、印刷の工程までを終え、業務案内の制作は終了。業務案内に入れる対象(送電鉄塔)を象徴する写真には、先輩の会社の皆さんにも賛同いただき、冒頭及び上記掲載の送電鉄塔を写した写真を使用した。専門の方々が見ても、私が気になった送電鉄塔は、“良い” そうである。


 最後に、散歩・散策、あるいはちょっと外出した時に目にし、自分的興味で撮った、送電鉄塔のある風景、の写真を列挙し、この項を終わることにする。。

▼ 武蔵野側から都心へと向かう送電線を支える送電鉄塔の連なり/武蔵境から
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▼ 山の方向に連なる送電鉄塔、向こうが発電元だろう……/武蔵境から
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▼ 富士山を背景に……/三鷹・杏林病院より
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▼ 田んぼを走る送電線と送電鉄塔/川越・南古谷にて
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▼ 黒目川沿いに見る送電鉄塔/新座市堀之内辺り
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▼ 送電経路線が複雑に走り、まるで送電鉄塔銀座/新座市堀之内辺り
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 おそらくこれから、送電鉄塔を見るたびに何らかの感想を持つのだろうと思う。散歩、散策好きの私にとっては、こうした気づきが一つづつ増えていくことが、何よりも……なのである。


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