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Kaz3

Author:Kaz3
1955年3月生まれ
(A型/魚座)
自称ロマンチスト

今さらながらの出会い、
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マイギター‥‥(再)

 長い間手を触れずにいた、ギターのケースを開けてみた。

007_01マイギター01


 多少ホコリっぽい感じはあったものの、自然劣化もなく、何の支障もない状態のギターが現れた。

007_02マイギター02


 こうしてまじまじと見たのはいつ以来だろう。最後に弾いたのは……? 久々に目にしたマイギターの前で、しばし感慨に耽った。

 <ヤマキ>の手工ギター、モデルNo,165 (Hand Made Yamaki. Model No.165)、というのがマイギターである。
 一番の特徴は、この種のギターにしてはちょっとハデ目にも見える細工のパーフリング(貝などで作られている縁周りの飾り)。

007_04パーフリング


 最近、気になってギターマニアのサイトなどであれこれ調べてみたが、フォークギターのパーフリングはライン的な細工のものがほとんどで、同じヤマキブランドの古いギターを数多く掲載しているサイトでも、全体のフォルムが同型のものはあっても、同じパーフリングが施されているものは見つけることができなかった。
 ひょっとしたら……と思ったりもしたが、まあ世の中そんなに甘くはないだろう。

 サウンドホール内のラベルには“1971.5.3”の製造印が確認できる。

007_03ホール内ラベル


 このギターを手に入れたのは1975年。作られてから4年後ということになるが、いわゆる中古品を買ったというのではない。

 このギターは高卒後最初に就職した会社で一番気が合った同期の友人Aが見つけてくれたものだった。Aが当時懇意にしていた楽器店の店主から、展示しているヤマキの手工ギターを、欲しい人がいたら定価は10万円だが6万円で売ってもいい(展示品だから……)、と言われたのだそうだ。
 ヤマキは1967年創立のギターメーカー。フォークギターの国産メーカーといえばYAMAHA、と言われていた1970年代初頭、ヤマキは知名度こそまだまだではあったが丁寧な音づくりに定評があり、プロの愛好家も多い、知る人ぞ知るといった存在だった。
 私はその楽器店も展示されていた状況も知らなかった。が、ヤマキブランドの手工ギターだということや、一番信頼している友人のAが良いと言っていることもあって、間違いなく良いものなのだろうと考え、あっさりと買うことを決めてしまった。給料が手取り6万円くらいの頃である、きつくないわけがない。それなりに迷ったが、結局ボーナス一括払いということで買ったのだった。

 このギターを買う以前には、ちょっとしたいきさつがある。

 このギター以前に私が持っていたのは高校2年の冬にアルバイトして買った東海楽器製のお手頃価格のもの。そのギターで奏法を覚えたりしたわけでいろいろと重宝はしたのだが、本来的なフォークギターよりもボディがひと回り小さく、音的にもけっして満足できるものではなかった。
 高校生の頃、文化祭や小さな会場でのフォークライブで歌ったりしていたが、お前のギターはステージに持ち込むには見栄えがしないと、見かねた友人が上のクラスのフォークギターを借りて来てくれたりしたものだった。そんなこともあって、働くようになったらもっと良いものを手に入れたいと思うようになった。
 就職したばかりの頃、新宿の楽器店などによくギターを見に行った。だが、欲しいと思うレベルのギターは多少無理が必要な値段で、いつも二の足を踏んでいた。

 同期入社に一人だけ大卒の人間がいた。大学時代にジャズを演っていた人なのだが、もう演奏する機会もないだろうからと、何本か持っているギターを処分するという。
 彼が持っていたのは全てエレキギター。私が欲しかったのはフォークギターだったが、その中の1本、イタリアエコー社製の12弦エレキギター、というのに興味が惹かれた。その12弦エレキギターをお前になら1万円で譲ってもいいという話になり、夏のボーナスで譲り受けることになった。
 譲り受けたその日の帰り、見せる約束をしていたこともあって、別の寮にいたAの部屋を訪ねた。いつも音楽談義をしている仲間も集まり、そのギターをネタに、夜遅くまで話し込んでしまった。いつもであればAの部屋に泊まり込むのだが、その日は職場からの帰りで、翌日が休日ということもあったので一旦自分の寮へと戻ることにし、手に入れたばかりのギターをAの部屋に置いていった。

 翌日、朝起きると周りが騒々しかった。話を聞くと、何とAたちのいる寮が火事で全焼したというのだ。慌ててAたちの寮へと行ってみた。無惨に焼けてしまった寮の前でAたちと会うことができ、全員無事な姿が確認できた。その寮は古い木造の建物だったため火の回りが早く、全員着の身着のまま逃げ出し、ほとんどの人が持ち物を全て消失したということだった。
 当然、昨日譲り受けたばかりの、イタリアエコー社製の12弦エレキギターは、一度もアンプを通して音を鳴らすこともなく、パーになってしまったのだった。
 友人たちが無事だったことでもあり、しかたのないことだとは思えたものの、せっかく譲ってくれた大卒の同期に申し訳ないというのもあって、やはりショックだった。

 最近その12弦エレキギターをとあるサイトで偶然見つけた。

007_05エコー12弦ギター


 自分のものだったのは40年近く前のほんのわずかな時間だったにもかかわらず、以外と記憶に残っているものだなと、我ながら感心(?)した。

 さてその後である。良いギターを手に入れたいという気持ちがなくなったわけではなかったが、12弦エレキギターの件以来、積極的に探し求めるという気分にならなかった。それに加え、それなりの音楽環境があった故郷を離れたことで、ギターを使って演奏する場などもうないのではと思ったこともあって、あえて高価なギターを買う必要はないのかも……などと考えるようにもなっていた。

 会社を辞めたAから掘り出し物ギターの連絡をもらったのは、12弦エレキギター焼失から1年ちょっと過ぎた頃だった。12弦エレキギターの件ではAなりに責任を感じてくれていて、何とか私に良いギターを持たせてやりたいという気持ちを持ち続けていてくれたらしい。
 気にかけてくれていたAの気持ちがうれしかったのと、それが少しあこがれのあった、ヤマキの手工ギター、ということもあって、原物を確認もせず、買うことを決心したのだった。

 初めて手にした時、それは想像していた以上に良いものであることはすぐ分かった。
 ちょっとハデ目だが、これまで見たことがない細工のパーフリング、堅牢さが感じられるボディのつくり、苦にはならない適度な重量感、何よりも弦を弾いた時の音の響き感はそれまで持っていたギターとは雲泥の差だった。
 私は一遍でこのギターが気に入り、それを自分のものにできることに少しばかり興奮を覚えた。Aには「サンキュー」の一言で済ませてしまったが、手に入れるまでの段取りをしてくれたことには、心から感謝……だった。

 というようないきさつを踏んで手にしたギターである。

 私の20代のほとんどは、このギターと共にあったといっても大袈裟ではないかもしれない。プロになりたいとか、音楽で生きるというような意識はさらさらなかったが、このギターを手にして以降のしばらく、私の音楽環境は異常なくらい楽しいものだった。
 一人暮らしを始めた時に淋しいのを紛らわせてくれた。愚にもつかない歌(?)を、たくさん作らせてくれた。素では面白くも何ともない自分に多くの音楽好きの仲間を呼び寄せてくれたのもギターの存在抜きには考えられない。
 八王子の仲間と一緒にコンサートを企画し大勢の前で歌うことができた。友人の結婚式では必ずギター持参で……というのが私の役割だった。

 結婚したのを境に、ギターを手にすることがほとんどなくなった。特別な理由などない。自然の成りゆきというやつだ。
 気持ち中では今でもギターをかき鳴らしているが、指の弦ダコはとうに消えているし、これからまたやろうというのには、少しばかり決心がいる。が、だからといってギターを手放す気などは毛頭ない。

 ギターケースを開けて以来、ギターのことが強く気になり出した。
 ギターをきれいに磨き、本体内のホコリを取り、弦を新しいのに張り替え、痛くなるのを承知で指に弦ダコを作ろうかと考えてはいるが、果たしていつスタートできるやら……ではある。

 最後にもう一度、マイギター……。

007_06マイギター03





追記
 一昨日、用事で烏山まで行った帰り道に吉祥寺の山野楽器で弦を4セットほど買って来た。使えるかどうか分らないサムピックと一緒に。
 30年ぶりに、ギターを響かせてみるつもりだが、弦ダコができるほどにやれるかどうかは、正直、???である。


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