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Kaz3

Author:Kaz3
1955年3月生まれ
(A型/魚座)
自称ロマンチスト

今さらながらの出会い、
発見、気づき、等々
浪漫的あれこれを
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記憶の中のフォークソング (1) …… <高田 渡 さん>の歌

数週間前、たまたま点けたテレビの番組で、
10年前に亡くなったフォークシンガーの高田 渡(わたる)さんが取り上げられていた。
番組は終わり近くだったようで、見たのは3〜4分ほど。
ゲスト出演していた息子さんの高田漣氏による、渡さんの曲の演奏で終わった。

それからしばらくして、これもたまたま買った雑誌の裏に「高田渡トリビュート」なる文字を見た。
渡さん没後10年に合わせて発売される、2枚のトリビュートアルバムの広告‥‥。
1枚は渡さん自身が歌っているもののベストアルバム、もう1枚は漣氏のカバー、というようなこと。
先のテレビ番組は、どうやらこのことを話題にしていたらしいことが思えた。

きっかけは些細なことでも、自分的に興味のあることの偶然が重なったりすると、
頭の中の記憶の何やらが刺激され、その関連のことがぞろぞろと思い出されたりする。

渡さんの曲を初めて聞いてから40年以上経つ。それほど熱烈なファンというわけではなかったが、
この人の歌が好きで、今でも何曲かの歌詞とメロディが、何かにつけ頭に浮かぶことがある。

特にこの歌……。

1505_01自転車に乗って


毎週土日の朝。わが家の決まり事は馴染みのベーカリーのパンでの朝食。
で、それを自転車に乗って買いに行くのが私の役回り。
その帰りの道すがら、途中にある原っぱ公園なんていうのも影響してなのだろうと思うが、
なにげにこの曲が思い浮かび、口づさむこともしばしば‥‥。

フォークソングに夢中だった高校生の頃、
この渡さんの代表曲「自転車に乗って」は、私のレパートリーの一つだった。
文化祭や小さなコンサートなどでよく歌った。
高田 渡 の名前を知らない人でも、おそらくこの歌は知っていると思う‥‥?


知る人ぞ知る‥‥のこんな歌にまつわる思い出がある。

1505_02コーヒーブルース
(背景写真=田無にあるフジカフェという私の馴染みの喫茶店)

ややマニアックな感もある歌だが、これも渡さんの代表曲「珈琲不演唱(コーヒーブルース)」。

十数年前、カミさんとカミさんの兄姉家族と一緒に京都に行った時のこと。
錦市場辺りを歩いた後、どこか喫茶店に‥‥ということになった。
すると義姉が、「イノダコーヒー」の本店がこの近くだから行こうと言った。

実はこの日京都に足を踏み入れた時から私の頭の中にはずっと、
この「珈琲不演唱(コーヒーブルース)」出だしの2行が浮かんでいた。
以前京都に来た時、行ってみたいと思いながら行けなかった、というのもあってのことだ。

今回は連れも多いことだし‥‥と、あまり考えないようにしていたのだが、
期せずして「三条堺町のイノダって云うコーヒー屋」に入ることになったのだった。

「イノダコーヒー」が京都では超有名な珈琲チェーン店であることを改めて知った。
近年は東京や札幌にも出店しているようだが、この頃はまだ京都市内に数店あるだけだった。
歌詞にある「三条堺町のイノダって云うコーヒー屋」は、もちろん本店のこと。
かつて谷崎潤一郎や池波正太郎といった文人や芸術家が常連客にいたと聞いている。
ただ、1999年4月に失火で半焼したため、1年ほどかけて改築したというから
渡さんが足しげく行っていた頃と内装などは違っていたのかもしれない。
それでもその日初めて行った「イノダコーヒー」本店は、なかなかの趣がある店に思えたのは確かだ。

考えてみれば、歌の歌詞に誘われるように入った喫茶店、なんていうのはここくらいかもしれない。


渡さんの歌には誰しもに覚えがあるような取るに足らない(失礼かな?)日常を歌っているものが多い。
半面、かなり痛烈な社会風刺のメッセージが入った歌も多くある。

最初に 高田 渡 の名前を知るきっかけになった歌がある。
ある年齢以上の方ならご存じの歌だろうと思う。

1505_03自衛隊に入ろう

この「自衛隊に入ろう」という歌には、自衛隊風刺の皮肉が込められていたにもかかわらず、
防衛庁(現防衛省)から自衛隊のPRソングとしてオファーがあった、という有名な逸話がある。

近年、特に東日本大震災時の自衛隊の活躍などを考えると、この風刺ソングは‥‥と、
思えてしまう感じもあるが、国の政策が一つ間違えば‥‥ということがないわけではなく、
なかなか考えさせられてしまう。要は政治次第ということか‥‥?

「自衛隊に入ろう」の他、「銭がなけりゃ」「鰯に鮪」「値上げ」‥‥といった
ちょっと揶揄した感じにチクリと社会風刺の言葉が入っているような歌もけっこう好きだったが、
どちらかといえばノンポリ系だった私には、この類いの歌に特別な思い出はない。


コンサートなどで渡さんの歌を生で聞いたのは5〜6回ほどだった。そのほとんどは合同ライブ。
一度だけ、他に気を取られることなくじっくり聞いてみたいと思って行った中野公会堂でのものが、
唯一の渡さん単独コンサートだった。

特にこの歌が聞きたくて行った‥‥と記憶している。

1505_04生活の柄

高2の時に初めてこの歌を聞いた。
元々フォークも‥‥で、別に何にこだわるというのはなかったが、
その頃は軽音楽同好会に入っていて、どちらかといえばエレキ片手にロック‥‥だった。
ある日クラスの友人が、聞いてみろと貸してくれた「ごあいさつ」(‘71年)というアルバム(LP)。
先の「自転車に乗って」も「珈琲不演唱(コーヒーブルース)」もこのアルバムで知った。
その中で、気に入った、というよりは、気になった、のがこの「生活の柄」だった。

高3になってロックをやめた。自分で曲を作り、好きなように(?)歌いたい気持ちが強くなった。
前々からあったのだと思うが、この、渡さんのアルバムを聞いたのがきっかけだったように思う。
秋の文化祭。一人(一組)持ち時間30分のコンサート。
6曲ほど選んだ中に「自転車に乗って」と「生活の柄」を入れた。自作も1曲。
「自転車に乗って」はまあまあと思えたが、「生活の柄」は何かうまく歌えなかった。
以降、曲自体は好きなのに、「生活の柄」を歌う気にならなくなってしまった。

そんな気持ちがず〜と残っていたようで、渡さんがどんな風に「生活の柄」を生で歌うのか‥‥、
じっくり聞いてみたかった。
「生活の柄」はかなりスローテンポな歌。誰でもがうまく歌える歌ではないように思える。
渡さん独特の雰囲気と声ならでは‥‥が良い味となって自分に届き、あの歌が好きになったのだ、
ということを、改めて思ったのが、中野公会堂でのコンサートだった。

この歌を語ろうとすれば、この歌の作詞者となる詩人の、山之口 獏 のことも‥‥になるが、
長くなるのでここではやめておくことにする。


さて、今年4月16日で、渡さんが亡くなって10年。
とにかく酒が離せなかったという、どうしようもない飲んべえだったことで有名だった。
大ヒット曲があったわけでも、世の中が騒然とするような話題を提供したわけでもない人だが、
あの独特な歌の世界観は誰にも真似のできない、希有な存在だったことは、
誰もが認めるところだろうと思う。

先にも書いたが、私は渡さんの熱烈なファンではない。もちろん直接お会いしたこともない。
あの人の独特な世界観というか、歌から感じられる感性のようなものが好きなだけだ。
とはいえ、何十年経っても消えない歌の思い出をくれたことには、強く感謝の念を覚える。

そういう意味(?)で敬意を表しこれからも、高田 渡、ではなく、渡さん と呼んでいきたい。
これが一番この人に似合う呼び方のように自分勝手な解釈でそう思えるから‥‥。

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ジャズといえば、中央線……

 ジャンルを問わず何でも……というのが私の音楽に対する基本的志向ではあるが、フォークソングとジャズに関しては、ちょっと特別……な思いがある。



 もう1ヶ月以上前のことになってしまったが、久々にジャズに触れる機会があった。まずはその話から入ることにしよう。

 10月25日、昨年行くことが出来なかった“阿佐谷ジャズストリート”に行ってみた。とはいっても、4時30分から新宿で打合せの予定があったため、それに出かけるついで(?)に、1時間ばかり時間を取って寄り道……という程度だったが、それでも、いやいやなかなか……けっこう楽しめてしまったのだった。

 2時少し前、2年ぶりの阿佐谷駅に降りた。南北どちら側でもよかったのだが、とりあえず南口側に出てみることにした。

 駅口近くの案内所でパンフレットをもらい、道路を挟んだ向側、噴水前特設ステージに目をやると、アメリカ人、それも米軍の所属らしき制服の人たちが何やら慌ただしくしていた。
 パンフレットを見ると「米国空軍太平洋音楽隊<Pacific Showcase> 12:30〜」というのがあって、どうやらその演奏が終わったばかりのようだった。

▼ 米国空軍太平洋音楽隊、後片付け中……
011_ph01.jpg

 一足違い……、米軍ビッグバンドの演奏、ぜひ聴いてみたかった。非常に残念。

 しばし後片付けの様子を眺めながら次のステージ予定を見る。まだだいぶ時間がある。北口側へ行ってみることにした。

 駅北口ロータリー中杉通り沿いの一画に人だかりが確認できた。ステージ代わり(?)の仮設テントの中では演奏予定者達が演奏準備の真っ最中。もうすぐ始まるようだ。

▼ 阿佐谷駅北口側のアーケードパサージュ前ストリートライブ会場の様子
011_ph02.jpg

 立て看板に貼られた予定では、演奏開始2:00PMとなっていたが、少し遅れている様子。時間が気になったが、せっかくだし一曲くらい……ということで、しばし待ってみることにした。

 10分ほどで演奏が始まった。「竹内郁人クインテット」というグループ。

▼ 演奏中の様子/みんなしっかり聴いている
011_ph03.jpg

 ダブルサックスにキーボード、ベース、ドラムスの編成。ダブルサックス(2本ともアルト)というのは案外珍しいように思う。
 曲名は分らなかったが、ビバップ系の正統派モダンジャズ……、という感じの演奏曲。生でジャズバンドの演奏を聴くのはかなり久しぶりになるが、けっこうノれた。足が自然に動いた。

 十数分ほどの演奏で1曲目が終了。もっと聴いていたい気持ちにはなったが、南口側が気になるのと、少し空腹感を覚えたことがあって移動。
 北口の立食いそば屋に寄り、再び南口の噴水前特設ステージへ……。先ほど大勢いた米軍の人たちの姿はすでになく、次の演奏予定者たちが準備を始めていた。演奏開始には今少し時間がかかりそうな雰囲気。

 阿佐ヶ谷駅周辺、1〜2km範囲のあちらこちらでストリートライブが行なわれているはずであることは知っていたが、あと30分くらいで新宿に……というのがあって、駅近くから離れるのはちょっと躊躇。で、先ほど演奏を聴いた北口側に戻ってみたが、1回目のライブは終わってしまっていた。
 しかたなくまたまた南口側へと向かう……。

 噴水前特設ステージのセッションライブが始まっていた。

▼ 噴水前特設会場ライブの様子(右下/ノリノリで踊っている女の子)
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 ジャズというよりはR&Bという感じの、けっこうビートの効いたサウンド。道路を挟んだ駅口前の歩道ではノリノリに踊っている女の子の姿。

 このライブを時間まで……と、ステージの近くへ向かおうとしたら突然、広場の東側方向から耳に覚えのあるディキシーランドジャズの曲が聴こえて来た。
 振り向いてみると、パールセンター商店街口の辺りがいつの間にやらすごい人だかり……。

▼ パールセンター商店街口の人だかり
011_ph05.jpg

 ちょっと迷ったが、R&Bも嫌いではないが、ここはやはり、耳に覚えのあるディキシーランドジャズ……と、自然に足が向いてしまった。

 歩いて移動しながら演奏する……ジャズウォーク。パンフレットには「ニューディキシーモダンボーイズ」と「早稲田ニューオルリンズジャズクラブ」の2つのバンド名。最終日の午後ということで、2つのバンド合同……ということらしかった。
 演奏曲はディキシーではスタンダード中のスタンダード“聖者の行進”。

▼ 2つのバンドが揃って“聖者の行進”演奏中/聴いてるみんなが楽しそうで良い雰囲気
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 あまりにも楽しい演奏光景だった。もうそろそろ、の時間だったけれどついつい聴き入ってしまった。それにしても、青服の道化師姿の御仁が演奏していた、打楽器をいくつも組み合わせたような楽器、ありゃ何だろう?

 各楽器のアドリブソロも入っての20と数分。ほんとに、久々に、音楽のある面白い風景に出会えた、という感じだった。
 3時15分には出るつもりが、10分以上オーバー。まあ遅れはしなかったけれど。


 私がこの“阿佐谷ジャズストリート”というものに出会ったのは3年前、ほんとに偶然のことだった。
 仕事中の骨折で職場近くの秋葉原の病院に入院していたカミさんを見舞った帰り、気まぐれに、帰宅最短ルートではない中央線を利用して家へ戻る、というのを何度かした。その何度目かのことである。
 今日は西荻窪辺りに降りて自宅に近い大泉学園まで歩いてみようか……などと考えながら中央線に乗っていた。電車が阿佐谷に着き、ドアが開くと同時に、ジャズの生演奏であることが分る音が聴こえて来た。思わず立ち上がり、電車から飛び降りた。その動作は自分でも不思議なくらい早かった。
 改札を出て音の聴こえる北口側へ出てみると、ロータリーの右向こうの一画に人だかりが見えた。ジャズの生演奏はそこからだった。

 前述の、阿佐谷駅北口アーケードパサージュ前のストリートライブ。それとまったく同じような光景を目にしたのが、“阿佐谷ジャズストリート”なるものとの最初の遭遇だった。

▼ 3年前の“阿佐谷ジャズストリート” 北口アーケードパサージュ前ストリートライブの様子
011_ph07_3年前北口ライブ


 この日、南口側へは行かなかったが、北口の商店街の通りで2組ほどの路上ライブなどにも足を止めた。通り沿いの居酒屋などの何軒かでは、夜にイベント共催のライブをやるらしいことも知った。
 もっと早く知っていれば……などと思いつつも、ちょっとした気まぐれが面白いものに出会わせてくれたことが嬉しかった。

 その後、一昨年は阿佐谷には行ったものの、午前中しか時間がなくライブそのものは見れず聴けずだった。去年はまったく都合が合わず、行くことすらできなかった。
 そんな前提があっての無理矢理に作った今年の1時間ちょっと……。来年こそは、事前に調べて、時間を取って、チケットを買って、と思うが……はたして?




 東京周辺のジャズのメッカといえば、一番が横浜、いやいや六本木だとか、歴史的に見れば銀座、あるいは浅草だろうとか、まあいろいろあるようだが、私にとって、ジャズ、といえば、中央線沿線……である。

 ジャズを好んで聴くようになったのは20才になる少し前、新宿にあったジャズ喫茶「DIG(ディグ)」にたまたま一人で入ったことがきっかけだった。
 当時のジャズ喫茶を知っている人なら頷いていただけることと思うが、おしゃべりは厳禁、名機と言われる高級オーディオ装置でもって大音量で否応なしにジャズを聴かせる……。ふつうの喫茶店の雰囲気をあたり前と思っている人にはとんでもないことかもしれないが、その頃の私にはそれが痛くフィットしたようだった。以来、新宿に出るとその独特の雰囲気を求めてジャズ喫茶を探し歩くようになったのだから……。

 これ以前、私にとってジャズは未知の音楽ジャンルだった。ただ高卒後、某有名音響機器メーカーの関連会社に就職した関係で、オーディオファン、特にマニアといわれるような領域でオーディオを楽しんでいる人たちの多くがジャズを好んで聴いている、ということをよく耳にしていた。だから心の内には多少の興味が生じていたようにも思うが、ジャズから連想される何やらこむずかしいようなイメージと、手持ちの安物のオーディオ装置で聴いても……という、わけのわからない理屈でもって少し敬遠していた感じだった。
 そんな私の手前勝手な概念をみごとに壊してくれたのが、ジャズ喫茶だったように思う。

 あたり前のことながら、ジャズ喫茶通いして何度も耳にするうち、それほど好きというわけでもなかったジャズという音楽に対しての興味が、どんどん強くなっていった。名盤、名曲といわれるようなレコードを買っては聴き、ジャズの雑誌や評論誌などを読みあさり、コンサートにも行くようになった。
 新宿厚生年金会館で「マイルス・デイビス」「MJQ(モダンジャズクァルテット)」といった外国のミュージシャンの演奏スタイルに驚き、新宿歌舞伎町の映画館で毎年大晦日に行われていた「オールナイト・ジャズ・フェスティバル」で 山下洋輔さん の強烈な肘打ち奏法を見てぶっ飛んだ気持ちになったこと、等々……、今でもはっきり覚えている。
 とまあそんな具合、私のジャズとの出会いは、新宿から……だった。

 「DIG」でジャズ喫茶の面白さを覚えた翌年、会社の寮を出て、東中野で一人暮らしを始めた。職場が近く、姉の家が近い、というのが大きな理由だったが、新宿に歩いても行ける距離、というのもあったように思う。けれどもそれからしばらくして、新宿が嫌いになったというのではないが、歌舞伎町辺りの独特の喧噪、いつ行ってもどこへ行ってもものすごい人ゴミ、そんなことに対して少しばかり煩わしさみたいなものを感じるようになっていた。
 雑誌で吉祥寺のジャズ喫茶が紹介されているのを見たのはそんな時だった。

 秋田の高校生だった頃、フォークソングが全国的に流行っていて、ご多分にもれず私もフォークソングに夢中となり、ギターを覚え、拙い詞と曲をつくり、高校の文化祭や小さなライブ会場などで歌ったりしていたが、そんな地方のフォーク好きの共通のあこがれの地があった。それが吉祥寺……。
 ところが、上京して2年以上過ぎていたにもかかわらず、なぜかきっかけがなく、なかなか行けないでいたが、ようやく、ジャズ喫茶目当て、というきっかけができた……。

 初めて行った吉祥寺。高校生時分に思い描いていたような「フォークソングの聖地」という感じではなかった。それでも新宿や渋谷といった都心の街とは朗かに違う雰囲気や、井の頭公園に代表されるような周辺の環境……、それらはなぜか自分にしっくりする感じがし、街そのものを気に入ってしまった。

 この日、吉祥寺北口サンロード商店街脇の路地に「アウトバック」というジャズ喫茶を見つけて入った。化粧を施したむき出しのダクト、そのところどころに置かれているカラスの剥製が印象的な店だった。

▼ 写真で残してあった「アウトバック」の紙マッチ/裏面には音響設備……
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 「アウトバック」の隣には「赤毛とソバカス」というロック喫茶があり、これもまた嬉しい発見だった。

 この日を境に、吉祥寺方面に多く足が向くようになった。

 上京3年が過ぎた頃、会社を辞めデザイン学校の2部(夜間)に通うようになった。昼はアルバイトで夜は学校……の生活。会社勤めの時とは違い、懐には余裕など無いわけで、コンサートにはそうそう行けない。で、ジャズはもっぱらジャズ喫茶で……ということになった。

 改めて思い出してみると、あの時期、今なら驚くくらいジャズ喫茶によく行っていた。さすがに沿線にあった全部の店に行けたわけではないが、中央線沿線、新宿〜吉祥寺間の街々(大久保、東中野は除く)にはそれぞれお気に入りのジャズ喫茶があった。

 新宿では先にも書いた「DIG」、それに「木馬」「ビレッジヴァンガード」。がんがん聴かされるのがちょっといやな気分の時は「DIG」の姉妹店「DUG(ダグ)」。
 吉祥寺は「アウトバック」を目的に行くことが多かったが、「ファンキー」「メグ」「A&F」「しもん」「サムタイム」……と、数多くの店に行った。
 その他、中野=「ビアズレー」、高円寺=「洋灯舎」、阿佐谷=「吐夢」、荻窪=「グッドマン」、西荻窪=「ダンテ」といった店の名前が思い出される。

 中でも、隣駅の中野にあった「ビアズレー」は、東中野で暮らした8年間、一番多く行った店だった。

 「ビアズレー」の店名は、19世紀後半にイギリスで活躍したイラストレーター「オーブリー・ビアズリー」の名前から付けたものだろうが、正しくは「ビアズリー」が、なぜか「ビアズレー」だった。
 ともあれ、店内には大きなビアズリーのイラストポスターが数枚貼られ、壁面は鏡、全体はビアズリー代表作のイラストイメージからの黒基調……、シンプルでありながら要所要所に凝ったインテリアをしていた、という記憶がある。

▼ ビアズリーの代表作「サロメ」のイラストとジャズ喫茶「ビアズレー」のマッチ
011_ph09_ビアズリー

 ビアズリーのイラストが元々好きだったこともあるし、この店では私の好きな、ジョン・コルトレーンの曲がよくかかっていたこともある。それに加えてもう一つ……。

 ジャズ喫茶の魅力は、もちろん誰にも邪魔されずジャズに浸れる、というのにあったのだろうが、それは一般の人間にはなかなか手に入れ難い、高級オーディオで聴ける……というのがあって、なおさら……、だったように思う。

 「ビアズレー」には、当時マニア垂涎の名機といわれていたスピーカーシステム、「JBLパラゴン」が設置されていた。

▼ 名器「JBLパラゴン」
011_ph10_JBLパラゴン

 都内のジャズ喫茶でも「JBLパラゴン」が置かれていたのは数店ほどだったと聞く。私が行ったことあるジャズ喫茶では、「ビアズレー」の他は、吉祥寺の「ファンキー」くらいだった。

 当時のジャズ喫茶はとにかくオーディオへの力の入れ方が半端では無かった。家の広さや近所への迷惑を考えれば、たとえ名機と言われるようなオーディオ装置を手に入れられたとしても、大きな音で思う存分好きな音楽を楽しめる人などそうそういなかっただろう。
 そういう意味では、ジャズファンのみならず、オーディオマニアにとっても、ジャズ喫茶はありがたい場所だった(?)のではないか……と思う。

 こんな記憶がある。朝、寝床から出て、コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」を近所に響かない程度の音でかけ、また寝床に戻った。朝の爽やかさの中、というのもあって、聴き慣れたはずの曲がいつもより妙に気持ち良く聴こえた。
 その日の午後、買物があって中野に出かけた。帰りがけに「ビアズレー」に寄った。入った時に流れていた曲が終わり、次にかかったのは、朝聴いたコルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」。大音量というのもあったろうが、音の隅々まで聴こえる感じに圧倒された。コルトレーンの吹くソプラニーノ(ソプラノサックス)の音が違って聴こえた。「マイ・フェイバリット・シングス」という曲がますます好きになった。

▼ ジョン・コルトレーン「マイ・フェイバリット・シングス」アルバムジャケット
011_ph11_MFTjacket.jpg

 どうでもいい些細な記憶……だが、ジャズ喫茶に関わる記憶を辿ると、こんなことがなぜか思い出される。


 30代になって、ジャズ喫茶への足は遠のいた。ジャズに限ったことではないが、ステレオで音楽を聴く、というのもあまりしなくなった。

 いつ頃だったか……。確か40才前後……、久しぶりに中野に行き、「ビアズレー」があった場所に行ってみたことがあった。建物はあった。が、そこに「ビアズレー」の看板を見ることはなかった。

▼ かつて「ビアズレー」があった中野サンモール横の路地/右奥に見えるビルの2階だった (写真は2011.Sep. )
011_ph12_B跡地

 「DIG」しかり、「アウトバック」しかり、多くのジャズ喫茶が1990年代に閉店、あるいは商売替えしてしまったと聞く。


 かつて荻窪に本社のある新星堂のプロデューサーが、“中央線ジャズ”なる言葉を提唱したことがあったと聞くが、その根本にあったのは、ジャズ喫茶の存在ではなかったか……。
 あの頃、1970〜1980年代、新宿から先、中央沿線の街々には多くのジャズ喫茶が存在し、“ジャズ喫茶文化”といえるものが確かにあった。

 馴染みにしていた多くの店が無くなっている現実を見て、中央線の“ジャズ喫茶文化”は消え、“中央線ジャズ”も消滅……?、と、残念に思った一時期……がある。
 そんな、早とちり、とでもいうべき私の勝手な思いを振払ってくれたのが、3年前の“阿佐谷ジャズストリート”との出会いだった。

 “阿佐谷ジャズストリート”は今年がちょうど20周年だったそうである。20年前といえば1990年代半ば、多くのジャズ喫茶が閉店した頃……。バブル崩壊後の不景気感が蔓延していた頃でもあって、世の中、ジャズどころではない、という感じでもあったように思う。
 そんな中で立ち上げ、今日では全国的にそれなりに知られるイベントに成長させたのだから、これには心から拍手……だ。

 ただ、“阿佐谷ジャズストリート”は、阿佐谷という地域の活性、というのがベースにあって、“中央線ジャズ”が持つ概念とはちょっと違う……。
 私のように、中央線の“ジャズ喫茶文化”に育てられた(?)他の人が、これをどう見るか、これをどう思うか……、一度聞いてみたいような気もする。

 “ジャズ喫茶文化”がもう一度花開くことなど、別に期待してはいない。ちょっと違和感があっても“阿佐谷ジャズストリート”のようなイベントを否定はしない。気兼ねなくジャズが楽しめればそれで……。

 中央線沿線の街々でジャズを教えられた身としては、いつまでも “中央線ジャズ”健在、であってほしいと願うばかり……である。

▼ 今も変わらず営業中の、吉祥寺「サムタイム」(写真は2012.Oct. )
011_ph13_サムタイム


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